コウノトリが運ぶもの
1995年12月5日は私の鳥見人生で忘れる事の出来ない日となりました。
予感めいたものを感じながら安倍川から麻機へ回り、偶然コウノトリを見つけてしまいました。震える体をおさえながら証拠の写真を撮ると徐々に震えも止まりました。さっそく”麻機の主”野鳥マスターB.Mさんと、「めるへん」マスターK.Mさんに連絡。「野鳥マスターB.M」さんはK中学の校長を連れてすぐに来ました。マスターK.Mさんもカメラを持って来ました。私も体調不良で仕事を休む事にし、この日はコウノトリをゆっくり観察、撮影しました。
その夜、偶然野鳥写真家の吉野俊幸さん(また有名な写真家が出てきてしまったので、吉野さんとの事はまたにします)から私のところに電話があり、コウノトリの事もお話しました。
情報はその夜の内に全国に流れ(吉野さんが流したわけではありません。隠しても仕方ないので、こちらで流したものです)、翌日には山形、京都など全国から元気な急病人が集まって来ました。その後の騒ぎは、みなさんご存知の通りです。
さて、敬親さんの事です。その当時、私が撮ったコウノトリの写真にえらく感動してくれた上品な奥様が居て、私の写真を大量に購入してくれました(その中の1枚が今でも藁科公民館に展示してあるようです)。
ある日その奥様から「久保さんと言う方に“かわせみ”さんの写真を見せたら会いたがっている」と言うのです。久保敬親さんの名前はもちろん知っていましたが、まさか本人とは思いませんでした。お会いするとクマのような風貌でとても怖そうな感じがしました。しかし、お話をするととてもおだやかで、真摯な感じの人でした。自然や写真についての考え方も共通しており、尊敬出来る人だと感じました。それからは、敬親さんが麻機に来ると撮影ポイントの案内などをしながら、一緒に撮影をする事がありました。レンゲとキジの写真はそんな時に撮っていました。
菜の花とキジが撮れるポイントを聞かれた時には、当時の第3工区の浅畑川沿いの菜の花畑を紹介したのですが、その時撮った写真が写真集「野鳥賦」の表紙になるとは思いもしませんでした。敬親さんからお礼として頂いた本は宝物です。
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